お出かけ 119 南三陸町ボランティア 2011.8.17~19

 現在は2021年5月9日です。
 今、ホームページの改修をしているのですが、お出かけのページに大震災のボランティアに行った時の様子を載せていないのがわかりました。
 当時、現場の写真とか、画像として掲載してよいものかどうか悩んだ末、載せないことにしたのをなんとなく覚えています。
 10年の歳月がたち、何回か現地に足を運びましたが、復興も原発関係以外、進んだように思います。

 そこで、このホームページ改修の機会に、その当時の写真とか載せることに決めました。
 文章は、帰ってきてから「イワナの独り言」に書いたのをコピーしています。

 はじめて被災地のボランティアに南三陸町に行きました。
 釜石から南下していったのですが,それはそれはひどいもので目を覆いたくなるような光景が続きました。
 あちこちに車や家の残骸が放置され,瓦礫はだいぶ片づけられていますが,所々に山のように積み上がっています。
 市街地は跡形もなく,場所によっては地盤沈下で湿地帯のようになっていました。
 受付をして,自分は志津川病院の瓦礫の片づけのグループに割り当てられました。
 ここの病院は5階建てですが,4階まで津波でやられ,死者もたくさん出たところです。
 入り口に献花台があり黙祷した後に作業がスタートしました。
 一階の瓦礫を木材,金属,燃えるもの,燃えないもの等に仕分けしながら屋外に出したり,土砂を除去したり。
 アルバムや写真が瓦礫の中から数枚見つかりましたが,それは専用のかごに入れ,捨てないようにします。
 30人ほどの人数でしたが,学生さん(東京経済大学)の団体をはじめ,みなさん口も聞かず一生懸命ほこりにまみれながら頑張っていました。
 ただ瓦礫の量はここだけでも半端なく,まだまだ気の遠くなる時間がかかりそうです。
 被災地には,これからも,たくさんの人的,物的支援が必要です。
 しかし動いている重機は見た目少なく,これでは,国の姿勢が問われても仕方がないかなと感じました。もう少しなんとか,できないものでしょうか。
 ボランティアをして,自分なりにいろいろ勉強になりました。
 機会があればまた参加したいです。ご覧のみなさんもぜひ考えていただければと思います。

  大船渡の市街地入り口にあった看板
 
  アパートの上に乗っかっている自動車。

  山積みされた瓦礫

  線路に流れ着いた壊れた家

  奇跡の一本松

   4階まで津波にあった志津川病院 とそこでのボランティア姿の自分

  営業を始めたガソリンスタンド

 残念ながら画像ではあの光景は比率にしたら1割も伝えられません。
 でも今でも目に焼き付いていますし、世の中のこと、自分のことなどいろいろと考えたことが思い出されます。

 今世の中、コロナで大変です。思ってもみなかったようなことが10年に一度位、実際に起きるということを頭の片隅においていきたいです。
 以上、東日本大震災約半年後に三陸に行った時のお出かけ119でした。ちょうど119という番号がこの回にぴったりだと思いました。
 
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